10月2009

昨日レコーディング

piano 山本剛
base 香川裕史
drums 安藤政則

FM浜松火曜日「ラジオですもの」のテーマ曲になります。
jazz standard でMoonlight in Vermont
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秋のふーチャン。

「いかに」するかが大切

先日ハワイで講演会をした。
参加者のお一人がこんな話をされた。彼女は、現地のコミュニティーカレッジでお花のアレンジメントの先生をされている。生徒の一人、ごく普通に楽しく作品をつくる女性が、長い間、心のバランスを崩してカウンセリングに通っていた。つい最近それを知り、驚いた。

知ったのは、全くの偶然。彼女の教室に、生徒さんが通っていた先のカウンセラーも習いに来ていた。それで、生徒さんとカウンセラーが、 ばったり出会ったとか。実はその生徒さん、カウンセリングに行ってもあまりおもわしくないので通うのをやめ、コミュニティーカレッジでお花を習いはじめた らしい。

もうひとつ。この先生は、老人介護施設でも、ボランティアでフラワーアレンジメントを教えている。認知症で最初はまったく反応がないお年寄りが、少しずつ変わり、このごろは彼女が顔を見せると「お花、お花」と言うという。

この先生の質問は、「お花を生けることが、これほど心に影響を与えるとは思わず、びっくり。今後、どんな心構えで教えればいいでしょう?」。私は、あまり構えずに楽しい時を共有してくださいと申し上げた。

心の不調は、「構えた」医療だけでは治せないことも多い。お花が心に効くから花を生ければいい、ではない。これらのケースでは、のびのびと自分の心を表現できる場を提供し、自己表現の手伝いを無心にされた、先生の資質が大事だった。

認知症のお年寄りも、お花の香りや色、そして自分に向けられる温かい言葉や思いに反応するようになったのだろう。何を食べればいい、何をすればいい、という表面的な処方を目にするこのごろ。何をするかと同時に、「いかに」するかにも目を向けてほしい。

日傘とマスク

 ボストンは日差しが強烈だ。夏は当然だが、冬も雪が降った後に晴れると、まぶしくて雪焼けしてしまう。

 勤務先の医療センター周辺には高層ビルも少なく、ちょっと歩いている間でも日焼けする。去年の夏はひどく日焼けし、リゾートに出かけたみたいになったので、今年は日傘をさして歩いた。去年は誰一人として日傘をさしていなかったから遠慮したが、今年はそんなこと言ってはいられない。

 多分、ボストン中探しても、日傘をさして歩いた人間は私以外いなかったと思う。皮膚がん防止のために紫外線に注意しようといくらキャンペーンをしても、習慣はなかなか変えられないらしい。日傘とマスクはアメリカの習慣にはないようだ。

 さて、今年6月、ハーバード大学がボストン住民1800人余りを対象に新型インフルエンザに関する電話アンケートを行った。先ごろ発表された報告書によると、インフルエンザが流行してもマスクをかけようとする人はわずか3%以下なのである。マスクが売り切れになるわが国とはだいぶ違う。

 その一方、共有のパソコンを使う際の手指の消毒に関しては厳重である。例えば、コミュニティーカレッジで行われるパソコン教室では、教室の入口にアルコール消毒のコットンなどが置かれていて、手指を消毒しないとパソコンを使用できないようになっている。私が在籍するダナ・ファーバー研究所でも共有で使用するパソコン周辺には同様の消毒が必須だ。

 共有のパソコンはたしかにインフルエンザ流行時の盲点になりやすい。先日、東京で新型インフルエンザが集団発生した高校では、理系進学組の生徒らが狭い部屋でパソコンを使ったのが引き金になったと聞いている。教室に入る前に手指を消毒する習慣のない日本。日傘とマスクの習慣がないアメリカ。それぞれの習慣が病気予防の決め手になることが多い。

スピーチはうまくなる

 アメリカ人は人前で話すのが得意で日本人は下手、と思っている方が多いのではないだろうか。

 先日、オバマ大統領がヘルスケアプランを発表していた。ほぼ1時間にわたるスピーチを「読まず」に話していたのをテレビで見たが、ずい分日本とは違うなあ、と思ったりした。

 学会も同じで、アメリカの学会では、パワーポイントの文字数はごくわずかで、ポイントだけが紹介され、あとは発表者が「読まず」に「話す」。

 日本の学会だとパワーポイントの文字数は多くて、「話す」人は少なく「読みあげる」人がほとんど。だから私は、アメリカで発表する時と日本の時ではパワーポイントを作りかえる。

 それでは、本当にアメリカ人は話すのが得意で日本人は下手かというと、私は決してそうではないと思う。要はトレーニングと経験の問題なのだ。

 アメリカの場合、カリキュラムにパブリックスピーキングや、リーダーシップという単位のある大学が多い。もちろんパワーポイントを使い効果的に話をするというコースもある。スピーチ内容だけでなく、いかに聞き手とコンタクトをとるか、どんなふうに動くか、なども評価される。学生が互いに問題点っを見つけあったりする。こうしたコースで経験を積めるから、人前でのスピーチが上手になるのである。

 私の所属するダナファーバー研究所(ハーバード大学の関連施設のがん研究所)では、職員向けにパブリックスピーチのクラスが開かれていて、職員なら誰でも参加できる。平日のランチタイム、あるいは仕事が終わった後に行われているのだが、参加者の話を聞くと「自分は人前で話すのが子供のころ震えるくらい苦手だった」という人が多いのに驚いた。アメリカ人はスピーチが得意なのではなく、スピーチの訓練を積み、経験しているのだ。苦手は訓練でしかのりこえられない、と痛感した。

失敗とのつき合い方

 のど元過ぎれば、という言葉がある。痛い思いをしたからこりたかと思いきや、また同じことをする。こういうタイプはダメな人とレッテルをはられることが多いが、あなたはいかが?

 そうした分類をされると、私自身はダメな人のジャンルに入る。ボストンにいて、ものすごく硬いパンをかじり、セラミックの歯がかけたのが3回。コンピューターのパスワードを書きとめておくのを忘れ、四苦八苦したのが2回。その他もろもろのトラブルは、いずれも失敗してから、ああまたやっちゃった、と気づく。

 痛い思いをしたのをすぐ忘れて不注意な人間だなぁ、とあきれるのだが、最近おもしろいことに気づいた。なぜすぐそうなるか、という点だ。

 つまり、イヤなことをケロリと忘れ、次のステップに進んでしまうからなのだ。そして、失敗しない人というのは、多分過去の痛い思いをいつまでも忘れずにいる人なんじゃないか、と思ったりした。いつまでものど元をすぎないから、注意深く失敗しない。

 どちらがいいのかはわからないし、いい悪いという問題ではないかもしれないが、その人の傾向ととらえてはどうだろう。

 私は子供のころ、母親にしじゅう「また同じことをして」と怒られた。母親は失敗をいつまでも覚えていて、注意深い傾向の人だったから、私の不注意を学習不足だと思ったのだろう。

 先のことを考えて過去を忘れてしまう人と、過去をしっかり覚えて注意する人。人はさまざまだ。過去をしっかり覚えてつらい感情だけを抜きとり、学習したことだけを記憶に残すようにしたら失敗を未来に生かすことができる。これは難しいけれど、すぐつらさを忘れて先に進むタイプの人は「私ってダメな人」と決めつけず、「つらい思いをすぐ忘れられる」特質をもっているととらえつつ、少しは過去をふり返るのもいかが。