先日ハワイで講演会をした。
参加者のお一人がこんな話をされた。彼女は、現地のコミュニティーカレッジでお花のアレンジメントの先生をされている。生徒の一人、ごく普通に楽しく作品をつくる女性が、長い間、心のバランスを崩してカウンセリングに通っていた。つい最近それを知り、驚いた。

知ったのは、全くの偶然。彼女の教室に、生徒さんが通っていた先のカウンセラーも習いに来ていた。それで、生徒さんとカウンセラーが、 ばったり出会ったとか。実はその生徒さん、カウンセリングに行ってもあまりおもわしくないので通うのをやめ、コミュニティーカレッジでお花を習いはじめた らしい。

もうひとつ。この先生は、老人介護施設でも、ボランティアでフラワーアレンジメントを教えている。認知症で最初はまったく反応がないお年寄りが、少しずつ変わり、このごろは彼女が顔を見せると「お花、お花」と言うという。

この先生の質問は、「お花を生けることが、これほど心に影響を与えるとは思わず、びっくり。今後、どんな心構えで教えればいいでしょう?」。私は、あまり構えずに楽しい時を共有してくださいと申し上げた。

心の不調は、「構えた」医療だけでは治せないことも多い。お花が心に効くから花を生ければいい、ではない。これらのケースでは、のびのびと自分の心を表現できる場を提供し、自己表現の手伝いを無心にされた、先生の資質が大事だった。

認知症のお年寄りも、お花の香りや色、そして自分に向けられる温かい言葉や思いに反応するようになったのだろう。何を食べればいい、何をすればいい、という表面的な処方を目にするこのごろ。何をするかと同時に、「いかに」するかにも目を向けてほしい。