4月2011

久しぶりです

久しぶりです

不安を乗り切るすべを

震災の直後からわきあがった「被災地を応援しよう」という温かい波が少しずつおさまると共に、被災地以外で「不安」を訴える人たちが増えている。

太平洋プレートの今後の地震が心配、原発事故はどうなるのか、日本の経済や産業が下降すると自分たちの暮らしは……。こうした不安が、すっぽり日本全国を覆っているようにみえる。

大人の不安は子供に影響するし、不安は人から人へと伝わっていくもの。これをストップさせるにはどうすればいいか。ということで、このところ多くの有職者が、「早く震災以前と同じ元通りの生活をするように」と述べている。

普段テレビのお笑い番組を見ていた人はそのように、といった意見だが、私はこれに異論がある。

12歳以下の子供は、震災のおこる前と同じ日常生活になるべく早く戻すのが適切だろう。気分を変えるのは大切なことだ。

ただし、大人が、震災や原発事故の経過を見て見ぬふりをしてはいけない。わきあがる不安をお笑い番組でまぎらわさずにしっかり受け止め、より根本的に不安を乗り切るすべを探すことが必要ではないかと思う。

一般的にも、病気や事故など人生の危機に遭遇したときは、その苦しみや不安をどう受け止めて乗り切るかによって、危機が決して悲惨なものにならず、かえって気づきや豊かさを生み出すことも多いからである。

さて、今回の震災で改めて気づかされたのは、「生きている」ということが、多くの奇跡的偶然の上に成り立っている事実である。友人の一人は、あの日、東北へ出張中に津波にあい、間一髪で車に乗って高台へ逃れた。別の知人は、東北からの帰りの新幹線を降りた東京駅で、地震にあった。

震災にあったのは自分かもしれないし、家族だったかもしれない。それに気づくと、「生きている」とは「生かされている」ことだと分かる。これはたしかに、いつどうなるか分からないという不安を生むかもしれない。他方で、今、自分が生きていると強く認識して一瞬一瞬を大切に過ごす姿勢につながる。

私自身、「明日どうなるか分からないなあ」と不安になったら、より強く、今を最大限に幸せに充実させようと心がける。一瞬の質を高めようとしたとき、不安は減る。

もうひとつ気づいたのは、水や電気、交通機関など、私たちは実に多くのものやことに恵まれていながら、その恩恵を普段は当たり前に思ってきたことである。

人はすぐ、持っているものに慣れてしまう。以前も書いたように、人は10億円の宝くじが当たっても、すぐ当たり前になり、幸せ感は続かない。便利さとものや財力という外的条件を追い求める生き方は、幸せを運んで来ない。

豊かさを受け入れて利用するとき、その恩恵にふと思いを巡らす。自分の持っている様々な多くのもの、ことを思うだけで相当に気分は変わる。持っているものを拒否するのではなく、無理な節約やケチケチではなく、自分の受けている恩恵の多さを思う心が幸せにつながる。

さらに気づいたのは、夢中になったとき、特に人を助けようと必死になったときに、不安は消えるということだ。自分の身だけを守ろうとする人は、不安でいっぱいだ。しかし、ひとたび保身を忘れると、不安はなくなる。

これは、震災で多くの人が、他人を助けようとして亡くなったことからよく分かった。津波を知らせるために最後まで車で走りまわり、波にのまれた人たちがどんなに多かったか。その方々の心に不安や死の恐怖はなく、ただ、他人を助けようという思いだけがあったのだろう。その方々は、「死」んだのではなく「生き切った」のだと思う。

今、生かされている私たちは、一瞬一瞬を大切に生き切ってみようではないか。この先の不安で意欲をなくすのではなく、今日一日を充分に生きる。そうやって、不安の波をよい気分の波にかえていきたい、と思う。

被災地へ、温かい波を[心のサプリ 大地震によせて]

日曜の朝、お茶をいれて新聞を広げる、家族と一緒に食卓を囲む──。そんな、いつもの日々を奪われた方たちがどの位いらっしゃるだろう、と思うだけで胸が痛む。震災からもう一ヶ月余りが過ぎるというのに、心から笑うことができず、いつもどこかに何かがひっかかっているように感じている人も多いだろう。余震もつづき、原発事故も現時点では解決していない。そうした不安はもちろんだが、それ以上に私たちの心を重くするのは「いつもの日々」を失った同胞への思い、であろう。

とても受け入れ難いこんな現実のなかで、どうやったら次の一歩が踏み出せるのだろうか。今、私たちに必要なのは何なのだろう。そんなことを、これから4回にわたり考えていきたいと思う。

地震の翌日のこと、ガスも暖房をとまり、食事が作れなくなった私は、近くのホテルのレストランに出かけた。そのレストラン、いつもとはちょっと雰囲気が違った。普段は礼儀正しい、という印象しかなかった接客係の人たちが、そろってみな温かい。ひとつひとつの動作に思いやりと優しさを感じるのだ。何度となくくり返された津波の映像を忘れ、一瞬、ほっとした気分になった。

そのとき気づいた。働いている人全員が気合を入れ、目の前にいる人すべてを被災者だと思って温かく接しているのだ、と。被災地に手伝いに行きたい、と思っても仕事があって行けない人も多い。しかし、今、自分の目の前にいる人に心をこめて接し、温かい思いを伝えると、その思いは人から人へと伝わっていく。温かい波は東北や北関東の被災された方々へ伝わっていくはずだ。

「よし、温かい波運動をはじめよう。目の前の人に温かさを!」。そう思いながらオフィスに帰ると、となりのオフィスのドアの前で、若者たちが何やら大きな箱を運び出そうとしていた。普段はあまり会話をしたことがない隣人である。私とは生活時間がまるっきり違い、夜遅くまで若者たちが集まっている、ベンチャー系のオフィスなのだ。

地震で壊れた家具かなにかを運び出すのかしら、と思ったが、あまりに量が多いので、「うちにある台車をかしましょうか」と声をかけた。すると「助かります。これ、被災地に送るんです」という返事がかえってきた。胸があつくなった。たった一晩でこれだけの物資を集めたのか。やっと動きはじめたエレベーターに荷物を積むのを手伝いながら、小さな温かい波が被災地に届くように、と願った。

頭が痛むと、人は手で頭をおさえる。打撲すると、そこを手でおさえる。指をケガすれば、傷ついた指を反対の手でおさえる。指をケガすれば、傷ついた指を反対の手でおさえる。何のためらいもなく、自然にそんな行動をとる。自分の体、という認識がそうさせるのだ。

今回の震災で気づいたもうひとつのことは、ごく自然にわきおこってきた一体感にもとづいた行動の波だ。人々は、ごく自然に、誰に促されることもなく、東北・北関東の被災地のために何かをしよう、と行動をおこした。まるで、頭が痛むとき、手で頭をおさえるように。

そこには「何かをしてあげる」という上から目線は全くなかった。ただひたすら、自分の体の手あてをするような自然な行動だった。つらいニュースばかりが流れるなか、人の心の温かさで心が洗われる。

人間は、どんなにつらくても、未来に一筋の希望が見えると生きていけると言われている。その希望の光になるなは、人々の温かさであろう。

友人が、インターネットで流れた被災者の言葉をメールで送ってくれた。津波で家も家族も失った40代の女性の言葉だった。

「大丈夫、私たちは、人の幸せをねたむほど落ちぶれていません。みなさんは、楽しい時は十分笑い、楽しんでください」。その強さと優しさに頭が下がる。この方たちを不幸にしてはいけない、と強く思う。時と共に忘れることなく、温かい波を送りつづけたい。

※「一日一粒心のサプリ」は3月に終了しましたが、特別編として「心のサプリ 大地震によせて」を今週から4回お届けします。

毎日新聞「読書日和」です。

毎日新聞「読書日和」に掲載されました。

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NYではいま街角で日本支援の動き

NYではいま街角で日本支援の動き

Pictures
NYの翻訳家:横島智子さんから送られてきました。

NYタイムズではすでに先月末日本の自粛を取り上げていました。

In Deference to Crisis, a New Obsession Sweeps Japan: Self-Restraint
TOKYO — Even in a country whose people are known for walking in lockstep, a national consensus on the proper code of behavior has emerged with startling speed. Consider post-tsunami Japan as the age of voluntary self-restraint, or jishuku, the antipode of the Japan of the “bubble” era that celebrated excess.
With hundreds of thousands of people displaced up north from the earthquake, tsunami and nuclear crisis, anything with the barest hint of luxury invites condemnation. There were only general calls for conservation, but within days of the March 11 quake, Japanese of all stripes began turning off lights, elevators, heaters and even toilet seat warmers.

危機に従いあらたな妄想が日本を一掃:自粛
NYTimes では日本の自粛についての懸念が取りざたされています。

単語紹介 lockstep (walk in lockstepで足並みをそろえて歩く、という意味があります)
Startling speed   すざまじい速さで
A hint of   わずかな兆候
Condemnation 非難

バブルのころとは対照的に自粛ムードがひろがりわずかな贅沢の兆候も非難の対象になる、と伝えています。