12月2008

にぎやかな季節に

 金曜の夜、電車の中で騒いでいる中年の男性がいた。何を叫んでいるのかと思って聞いていたら「金曜の夜はきらいだ、さみしいんだ」という内容。
同じ日、レストランで食事をしていたら、窓の外を歩いている男性が同様の内容を大声で騒いでいる。

 確かこの季節、休日を独りぼっちで過ごすのはなかなか厳しい。感謝祭が終わったボストンの街は、ビルもデパートもクリスマスの飾りつけがあふれ、不況のなかセールが行われて家族へのプレゼントを買う人々が目立つ。
家族というのはわずらわしさの元にもなるが、離れてしまうとさみしい。一緒にいる間はお互いのよさに気づかないのが残念なことである。

 アメリカでは、さまざまなコミュニティーグループが活動している。がん患者やエイズ患者のグループもあるし、教育やアルコール依存症の治療のグループも活発に活動している。一人でものごとを抱えこまず、共にわかちあって孤独感を軽くするにはコミュニティーグループの活動が効果的だ。

 アメリカを目標に進んできた日本でも、孤独感を感じる人たちは確実に増えている。ボストンの男性のように大声で「さみしいんだ」と叫びはしないが、一人でパソコンに向かったり、ゲームにのめりこんだりして孤独に気づかないようにしている傾向が強い。

 孤独をうめるために人とのかかわりを求めてコミュニティーグループを作るのか、あるいは一人でパソコンに向かい機械と対するのか、大きく二つの方向性があると思うが、あと二つ、私はかつて日本人が持っていた「自然とのかかわり」を加えてほしいと考えている。自然の中で過ごすひとときは、心をほっとさせてくれるはずである。

 今年も残りわずか。クリスマス、お正月、と家族で過ごす時間が増える季節。まわりがにぎやかになるほど、一人暮らしの方の孤独が気になってしまう。

みんな違っていて当然

 以前雑誌に原稿を書いていてアイデンティーという言葉を使ったら、知らない人もいるので別の言葉にしてください、と言われたことがある。しかし、アイデンティーを直訳すると「存在証明」となって、ふだん全く使わない言葉だし、と悩んでしまった。

 アイデンティー。その人がどんな人間なのか、自分が何者であるかという意味を示すこの言葉。私たちにっては日常的ではない。しかし、アメリカにいると毎日のようにIDという単語を耳にする。

 その理由をはっきり感じるのが地下鉄に乗った時である。向かいの列に座っている人全員の肌の色が違う。着ているものの傾向も全く違う。どこの国の出身だろう?IDカードを見なくてはわからない。つまり必要に迫られて自分は何者であるか、を説明できるようになってくるのであろう。

 自分はどんな人間で、どんな傾向があってどう生きるか。そのようなことを考える下地は、環境によってはぐくまれるのかもしれない。常にIDカードを持たないとものごとが進まない環境にいると、自分を客観的に観察し、自分と対話するチャンスも増える。

 前述のように、地下鉄に乗っても店で買い物をしても、実にみな肌の色、体型がまちまちだから、自分と他者がはっきり違い、人それぞれであるということがいやでも認識される。

 きちんと話さないとコミュニケーションがとれないな、という覚悟もできるし、人は自分と同じようには考えなくて当たり前ということも自然に体でわかってくる。

 日本でストレスの原因として多いのは「相手が思い通りになってくれない」というものだ。自分の脚本を相手に押しつけてしまう。相手は自分と同じように考えるものと思っているとストレスが生まれる。相手は自分と違って当然という認識は、こうしたストレスを軽くするかも。

2008.12.14.sun