こころの深呼吸

震える心 こころの深呼吸(6)

婦人之友6月号

婦人之友6月号より

日曜日の仕事[こころの深呼吸7]

こころの深呼吸7
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婦人之友7月号より

寄り道(心の深呼吸)

スーパーで夕食の材料を買う時、あなたはどんな買物の仕方をなさいますか?

予定の献立に必要なものの売場に行き、それ以外のものは見ない、という人もいるし、逆にひと回りしながらふと目について興味のあるものを手にとったり買ったり、という人もいる。

前者は時間とお金を効率的に使える。ムダ使いをすることもない。予定の献立をきちんと作るためには余分なものを買うことはない。この時代に適応したスタイルの買物だろう。後者は時間とお金をムダに使う可能性を多分に含んだ「寄り道」スタイル。夕食に不必要なものをつい買ってしまうこともある。予定していた時間をオーバーして買物に使うこともあるだろう。

私は、といえば、ほとんどいつも後者のスタイルだ。あらもう白魚のかまあげが出てる、あらもう菜の花だ、というと予定をかえて菜の花と白魚のパスタを作ってみたり、あちこちの売場で何度もひっかかる。

そしてこうした「寄り道」スタイルは人生も同じだなあ、と思ったりする。例えば、研究でいえば、ひとつのことを調べだすと、いろいろなそれに関する論文が引用されている。その引用を読み出すとまたまた興味が拡がり、というように次々と「寄り道」がつづき、医学の分野から社会学、時には政治学の分野まで道草をしていることが多いのだ。

そんな論文まで調べて何という時間のムダ、という人もいるだろう。たしかに寄り道はお金のムダが多いが、時間のムダには私の場合はなっていない。ちがう分野の知識は自分の一部になってくる。ストレートにそのことだけするのとは違う「かくし味」みたいな効果が出るのである。

寄り道をした先々のいろいろなこと、そのうちそれが次第に深く自分とかかわるようになり、各々の寄り道の産物同士がつながりをもつようになると人生は深く豊かになってくる。ちょっと抽象的でわかりにくいかしら?

ちょっと興味のあること、ふと心が動く本、場所、そんなことに少しだけ寄り道してみると、今までとは別の視点が開くことがある。

子どものころ学校に通うのに毎日違う道を使うので怒られたことがある。大学時代は定期があるのに別の電車で帰ったりしてムダ使い、といわれたりした。そのくせは今もかわらなくて、つい別の路地を歩いてみたりする。単なるへソ曲りか、とも思うのだが、この寄り道スタイルを治すより活用しようと思うこのごろである。

時間の量、時間の質(こころの深呼吸)

「ひまな人ほど忙しい」などといわれている。時間がありそうな人にかぎって忙しがっており、それを理由に何もできないものらしい。時間もものもお金もたくさんあればあるほどムダに使ってしまうからだろうか。

それではどうすれば時間を有効に使えるのだろう。
私自身が大切にしていることは、時間の量ではなく時間の質を充実させることである。同じ5分でも、心が充分満足する5分間もあるし、上の空の5分間もあるし、苦痛で長く感じる5分間もある。5分という時間は、量としては同じでも、質は全く異なるのだ。

5分間が1時間の価値がある場合もあるし、逆に1時間が5分ほどの価値しかない場合もある。同じ時間でも、充実させて心をこめて使うと短い時間の質は向上する。密度が濃い時間にかわるのである。

さて、こんな話をすると、時間を有効に使うには同時にいろいろなことを進行させるのがいい、と誤解する方がいる。いわゆる「ながら族」状態だ。

スポーツクラブで、本をひろげヘッドフォンで音楽をきき、テレビモニターで画面をチラチラながめつつトレッドミルで走っているような人、である。

同じ20分でいろいろとやっているので一見時間を有効に使っているようにはみえるものの、どれもが上の空である。運動に集中しているわけでもないし、かといって読書にも音楽にも集中していない。すべてに散漫になっており、これでは時間の質が向上したとはいえない。

たったの20分を満足のいくものにするには、ひとつひとつを大切にしながら十分味わってそれを行うことがいいのではないか、と思う。

禅僧のティック・ナット・ハンは、「歩くときには歩くことに、みかんを食べるときはみかんを食べることに集中し、ひとつひとつを大切に行動すること」が大切と書いているが、私はそうした姿勢が時間の質をたかめることとつながると考えている。

そして最もムダな時間とは何か、というとそれは、過去を後悔したり、将来の不安で心をくもらせたり、他人の悪口やうわさ話をしたり、うわさ話を書いたものを眺めたりする時間だろう。

一日のなかからこうしたムダな時間を仕分けして、今、このひとときに集中して充実させることが幸せのヒントだと思う。

(2011 婦人之友)

手入れ(こころの深呼吸)

夕食で使ったレンジ、必ず洗うでしょう。そのまま放置したら翌朝には汚れがこびりついてなかなかとれなくなる。使ったテーブルも同じ。拭いておかないと次に使えなくなる。花びんの水をかえないと花は枯れてしまうし、車を運転する方は、走らせる前にガソリンを入れる。

これらすべては「あたりまえ」のことだ。台所も食器も花も車も、使ったら「手入れ」する。使う前には点検する。なのにどうだろう。人は自分の体と心の手入れをしているかしら。

朝食を食べずに仕事に出かけるのは、ガソリンを入れずに車を走らせるようなもの。夜遅くまでパソコンやテレビをみて眼を使い続けるのは、やかんのお湯をわかしつづけるようなもの。エネルギーを補給しなくても、休まなくても車や機械のように止まってしまわないで働いてくれるのは人間のもつ適応力のおかげだ。

多少のことには黙ってがんばってくれるのが人間の体。でもそれをいいことに手入れをしないと、いつか故障してしまう。

こんな昔話がある。ある少年は12本の木を切ることができた。さあ、翌日はもっとがんばろう、とがんばるが10本しか切れない。その翌日、少年はもっとがんばったが8本しか切れない。首をかしげながらも夢中に仕事したがついに一週間後には1本も切れなくなってしまった。少年は師匠に相談する。自分はがんばっているのにぅまくいかないんです、と嘆く少年に師匠は一言。「おまえはいつ斧の手入れをしたかね」。

手入れは大切だ。今日一日よく働いてくれた体をきちんと休めよう。そしてたりないものがあったら補給し、使いすぎた部分はマッサージしたりちょっと手あてしよう。
体はもちろん心の手入れも忘れずに、いやな気分や疲れた心をそのままにしてねてしまわず、そんな思いを体から吐き出すイメージで深呼吸してみよう。
手入れする時間をないがしろにせず、きちんと使ってきちんと手入れするのが大切なのではないかしら、と思うのである。

2011年 婦人之友3月号