栃木にある大学で教えているから、通勤は東京から新幹線だ。昼は外に食べに行く時間がないため、お弁当を持参する。その日は、昼休みに卒論指導をしたから昼食はパス。朝食は十分とったし、空腹ではないから、お弁当は帰りの電車で食べることにして、午後の講義の後、気になる学生を呼んで、話を聞いた。ディスカッションに集中せず、逃げ腰なのが心配だった。

 内容が面白くないのか、と尋ねるとそうではないという。よくよく聞くと、学ぶこと自体は楽しい、面白いと感じたことがないのだという。本も、難しい言葉や漢字、専門用語を飛ばして、読むのをやめてしまう。調べるのが面倒だから、結果としてそこで止まってしまう。ボキャブラリーが少ないから、討論で自分の意見も言えず、逃避してしまうのだ。

 それではさぞつまらないだろう。私は懇切丁寧に教えるいい教師ではない。でも教師である以上、大学生に「研究することの楽しみ」を知って卒業してほしいと思っている。

 人から与えられたものを「学ぶ」だけでなく、自分の見つけたテーマを「研究」するのが大学という場所だ。そのためには、前段階として先人たちの残した研究の結晶である論文や書物を読む必要がある。その学生に、今まで投げ出してしまった本を一冊選んでごらん、難しい言葉は勉強する手伝いをするよ、と伝えたら、途端にホントですか、と目を輝かせた。

 来週はどんな本を選んでくるか楽しみだと思いつつ新幹線に乗ったところで、ハタと、研究室の冷蔵庫に入れたままのお弁当を思い出した。空腹をすっかり忘れて、学生と話していたのだ。体は疲れたかもしれないが、充実したいい気分だった。食いしんぼうの私が食事を忘れるほど、学生と集中したコミュニケーションが取れたことを、うれしく感じたのだった。