取材にいらした記者の方が席につく前に「ちょっと手を洗わせてください」とおっしゃったのをきいてその心づかいをうれしいと思った。

 インフルエンザや風邪が流行するシーズン、「外から帰ったら手を洗いましょう」と手洗いを実行する人は多いが、「外からよそのオフィスやよその家に行ったら手を洗おう」と思う人はごくわずかだろう。よその家に住む人は他人、という感覚で過ごす人が多いなかで、よその家の環境を守る、というやさしさに心がなごみ、お子さんや病気の方のいる家を訪ねた時などぜひ見習いたい、と思った。

 さて「洗う」というごく単純な行為は、さまざまな病気の予防になる。私は1年ほど前から外出から帰ると手と同時に鼻や目を生理食塩水と同じ濃度の塩水で洗うようにしているが、以来風邪をひく回数が極端に減少した。

 「洗う」という行為は、傷をおったときの治療の第1ステップでもある。ところで、日常生活の中で、目にみえる汚れやシミはすぐ洗ってピカピカにしよう、とするが、目にみえないものに対しては無頓着になりがち、なかでも気づかずに過ごすことが多いのは心の汚れだろう。
 カチンときたり、カッとなったり、日々の生活の中でさまざまな感情がおこる。とくに怒りの感情に関しては、ぐっと我慢したり、お酒をのんでまぎらわしたり、あるいは仕事や別のことに気持ちを集中させて、のり切ることが多いのではないだろうか。
 これは怒りという感情にフタをしたり、まぎらわしているだけである。一時的には気持ちがすっとしたようになるかもしれない。しかし汚れは隠しても残っていて、いつかそれが再び浮上してくる。

 義理の母親とうまくいかないAさんは、母親と衝突して怒りがこみあげると、それを我慢しデパートで買い物をしてすっきりさせていたという。しかし怒りは一時的におさまっても時々くやしさや理不尽な思いで突然どなりたくなって悩んでいる。

 気晴らし行為でのり切ったようにみえても、それはむしろ逆効果で怒りの反復がおこりやすいという最近の研究報告がある。報告によると人は、決着がついていないものごとに対し、決着をつけたいという思いがあるため、怒りのもとになった出来事を思いおこし、そのたびに怒りが喚起され反復するからだという。きちんと心を洗い、気持ちの整理をすることが必要なのだ。

 心を洗う効果的な方法として、怒りのもとの出来事について毎日書きつづけると、出来事についての理解が深まり、洞察力が深まり、怒りが鎮まるともいわれている。手を洗うのは水だが、心を洗うのは「つづる」こと、自分をみつめるひとときといえそうだ。(心療内科医)