ボストン市内には、「T」とよばれる市内電車が走っている。日本でいう地下鉄だが、地下だけでなく地上も走っていて大変便利、東京やパリにひけをとらない充実ぶりだが、残念ながら目的地に行く電車がなかなかこない、という難点もある。

 そこで電車を待つ間、自然に目に入るのが駅のホームにある広告である。この広告の種類の多さにはちょっとびっくりする。ハーバード大学のサマースクールの広告はわかるとして、驚くのは精子ドナー募集の広告。女性が双眼鏡で何かを探している、というデザインの横に、「私たちは精子を求めています」という言葉が書いてある。はじめて目にした時は仰天した。日本ではまず考えられない。しかし毎日目にしているうちに次第に慣れてきて、とくに違和感もなくなってきた。アメリカでは日本社会でタブーになるこうしたことによく出会う。

 もうひとつ例をあげれば、地元のラジオでひんぱんに流されているのが「アルコール依存症の方はぜひこちらで治療しましょう」という大学の依存症治療センターのコマーシャル。依存症の人は、これをよんで下さい、と自著を宣伝する医師もいる。最初は驚いたが、毎日きいているとどうということもなくなってくる。
 その時気づいたのは、日々こうした情報を見たりきいたりするのはタブーに関する意識がかわったり敷居が低くなる、ということである。不妊や依存症に悩んでいて声をあげられない人にとって「敷居が低くなる」のは大きな効果があるだろう。

 さて、最近日本では孤独死が大きな問題になっている。国勢調査によれば、65歳以上で独り暮らしの方は2000(平成12)年に約313万人だったのに対し、2010(平成22)年には約479万人に増加している、という変化も孤独死の背景にあるといわれている。自治体では孤独死の防止に様々な対策をたてている。ケースワーカーによる見守り強化や声かけコミュニティー作り、緊急連絡網の充実などだが、孤独死が独り暮らしだけでなく同居家族がいる場合も考えると、その防止対策だけではとてもおいつかないように思えてならない。

 視点をかえる必要があるだろう。というのは、孤独死の多くは、亡くなる前、自己放棄状態に陥っているといわれる。生きることに投げやりになってしまうその前に自ら調子の悪さ、つらさ、無力感、孤独感の声をあげられる環境を作ることも大切ではないだろうか。
 「独り暮らしで孤独になったら相談を」などという告知をあちこちで見かけ、ラジオで流れていたらどうだろう。つらさをカミングアウトすることに対して抵抗が少なくなるのではないだろうか。がんばって生きてきた高齢者を一人ぼっちで旅立たせたくない、と思う。(心療内科医)