笑うことが健康に効果的だとは、よく知られている。そんな話を講演会でしたところ、「自分は1日に2時間笑うといいと聞いたから、必死に笑おうとしている」とおっしゃった壮年の男性がいて、驚いた経験がある。もっと気楽に楽しく、という意味が込められた「笑い」なのに、それが義務になったら効果は減るだろう。

 さて、失敗やつらい思い出も、笑い話にできるようになれば、完全に乗り切ったと見ていい。「笑い」は、自分を客観的に見るゆとりができて、はじめて生まれる。つらかったことを笑いとばしてしまえれば大したもの。つらさと格闘するさなかに、笑いは生まれない。ユーモアはストレスを乗り切るために大切だが、ユーモアを取り違えている人が多いのは気になる。

 いわゆる「お笑い」イコール「ユーモア」と、勘違いしていないだろうか。外山滋比古氏によると、「ユーモアとは相手を見下すのでも自分を卑下するのでもなく、相手と対等な立場から相手に愛情をもちつつ」生まれる笑いだという。

 この視点からすると、最近の日本は「ユーモア」が減った。相手をバカにして笑ったり、自分をわざわざダメだと強調する卑屈な笑いはそこかしこで見かけるが、他者への温かさがこもった共感的な笑いは見当たらない。

 これが、今、すさんだ気持ちの人が多いことの背景にもなっているように思えてならない。また、ユーモアは子供に通じない、とも言われている。ユーモアを解するには、言葉や文化などについて、いわゆる教養が必要だからだという。とすると、ユーモアがわからない日本人が多いのは大問題だ。

 以前口うるさい姑との葛藤で体調を崩した女性が、つらい思いを笑い飛ばして短歌を詠んでいた。つらさや痛みを笑いで包み、きれいな結晶にして世の中に送り出す。これが、大人の姿勢だと思う。