「はっきり言われたから傷ついた」という言い方を、しばしば耳にする。言われた内容にではない。そのはっきりさ、明確さに傷つくのである。

 私たちは、良くないことを言わなければいけない場合、ぼかして表現する。ダメとは言わず「可能性が低い」、悪いと言わずに「あまり良くない」。はっきり言う人は、「キツイ人」と敬遠されたりする。あいまいさに慣れていて、ぼかされながら言われた時はその奥にあるものを察するのが、通常のコミュニケーションだ。

 このあいまいさが、政治、経済から病気の告知に至るまで、広い領域にわたっているとは気づいていた。が、先日、これが報道の分野にまで及んでいると指摘された。

 米大使館勤務を経て、国際会議の同時通訳などをしている友人がいる。彼女が「日本のニュースははっきり言わないね」という。フィリピンで起きたバスジャック事件のテレビニュースを見ていた彼女、画面に映った現地の英文報告書に「nil」という言葉を発見した。「ゼロ」「無」という意味だ。

 交渉前の情報収集はゼロで、交渉を専門とする人が事前に決まっていないなど、マニラ警察のずさんな対応による fiasco (完全な失敗)との内容だった。ところが、このニュースでは、「経験の浅い人が交渉にあたったための失敗」と、かなりやんわりと伝えていたそうだ。

 「経験がゼロと浅いとでは、インパクトが違うよね」

 たしかに、私たちははっきり言われるのに慣れていない。日本語は主語を省いたり目的語を省いても、「察する」ことができる言語だから、という理由もあるだろう。相手が察してくれると想定してコミュニケーションが成立するのは、国内だけ。はっきりしないと成立しないコミュニケーションが国際社会の規定だから、なかなか大変だ。