ちょっと前の話になるが、サッカーのワールドカップ(W杯)で活躍した本田圭祐選手が母校を訪問し、「夢を大きく持とう」と話したという報道があった。元気が出た子供たちも多かっただろうと思う一方、こんなふうに子供や若者の意欲を後押しできる大人がどのくらいいるのだろうか、との思いが心をよぎった。

 大人というものは、「本音と建前」を使い分ける。これが、子供にとっての心理的な二重拘束になることもある。たとえば、本田選手やイチロー選手の活躍をみて、自分もがんばろう、と思っても、親や周囲の大人が「もともとの素質が違うだろう」「それでは食べていけるわけはない」とブレーキをかけることがありはしないだろうか。

 たとえ、結果としてW杯や大リーグに行けなくとも、何かひとつのことに夢中になり、努力をし、精進することは、貴重な通過儀礼だ。努力してもできなかったという挫折さえ、人生の大切なステップとなる。「どうせものにならないから」やってみない、という最近の風潮は、子供でなく大人が作ったものではないだろうか。

 先日、こんな相談を新聞で読んだ。将来したいことがある若者が、周囲の大人に、そうなれるのはごく少数だから、と反対されて悩んでいるという。ある識者の回答は次のようなもの。ものごとは、実際にやってみると結構大変で、一見おもしろそうに見えても楽ではない。あなたのことを一番わかっているのは親や教師だから、その意見に従う方がいいでしょう。

 思わず、ウーンとうなってしまった。この忠告に従えば、無難に人生を歩めるかもしれない。しかし、心の中には何か不完全燃焼のまま、夢を抱え続けるだろう。今の日本の閉塞感は、子供に夢を持て、と言いつつ、無難に失敗しないように生きなさい、とも言う建前と本音の産物のようにも思う。