父親が企業社長のAさんは、二代目といわれるのが嫌いな努力家。アメリカに留学して卒業した。ところが、それでも周囲からは、経済力があるからできるのね、などと陰口を言われ、怒りを感じている。Aさんの家族は、言いたい人には言わせておけばいい、負け犬の遠吠えだ、などと言う。

 努力をしてもコネなのでは、とうわさされるのが恵まれた立場にある人のつらさ。こうした陰口は嫉妬から生まれるわけで、私も昔「父親が医者だから医学部に行けたんでしょ」とか、「子供がいたらそんなに仕事できないわよ」などと言われたものだ。

 アメリカで研究するようになると、「誰の紹介でルートを見つけたんですか」などと言われ、結構驚く。いろいろ言われるとカチンとはくるが、私はそうした発言に込められた無念さに共感する。嫉妬の奥に、「自分もそうしたい、そうしたかった」という思いと、できなかった悲しみが込められている。その人は決して努力しなかった訳ではないだろう。努力しても条件が整わなかったり、努力が実る環境になかったり。ほんのわずかなボタンのかけ違えでできないことはあるものだ。

 努力家で、努力をすればものごとが成就する環境にいる人は、恵まれた人だ。いわゆる世間の勝ち組はそうした人で占められているから、努力してもうまくいかない人がいることなど想像もつかないかもしれない。しかし、カウンセリングでさまざまな方とかかわると、素晴らしい資質をもちながら努力する時期を逃したり、努力が結果に結びつかなかった人がいるとわかる。

 嫉妬の言葉は、その人の無念さの吐息のようなものである。それを負け犬の遠吠えなどにたとえてはならない。本当の勝ち組とは、その悲しみを理解しつつ、自分の恵まれた立場を、それができなかった人の分までがんばろうと努力する人なのではないかと思う。