アメリカに住んで気がつくのは、「迷惑とお互いさま」の論理の違いである。
日本では子供のころから「人さまに迷惑をかけるんじゃありません」などと言われて育つから、他人の思惑や視線が行動の基準になったりする。

 人さまに迷惑をかけないように努力するのは大事だが、逆にいうと、迷惑をかけられた時にはひどく立腹して、相手の人間性を否定してしまうこともある。もう二度と付き合わない、などということもおきる。迷惑にはいろいろある。時間に遅れる。約束をキャンセルする。こういったことで「迷惑をかけられて」トラブルになったりストレスを感じたりもする。

 アメリカの場合は。「お互いさま」の論理が先行する。自分が迷惑をかけるかもしれないが、相手の迷惑にも許容範囲が広くなるというスタイルだ。ボストンに20年以上住んでいる日本人が、「迷惑をかけあう、という感覚ですね」と言っていたが、この思考性に気付かないとアメリカに住むことはストレスになるだろう。

 つまり、「自分はこんなに人に迷惑をかけないように努力しているのに、相手は迷惑をかけるから許せないわ」とイライラし、友人ができずに孤立したりする。研究室にいても、大きなミーティングではそんなことはないが、研究の途中経過の報告会などでは、たびたび前日にスケジュールが変更になったりする。ちょっと間にあわなくて、などという場合もあるのだ。

 日本人だったらまず、そんなことはおこらないだろうなぁ、と思ったりもする。さて、日本人はカウンセリングを受けたり他人に家族の介護を頼むのに抵抗を感じる人が多いが、これは、「人様に迷惑」と共通する心理にも通じる。すべて自分や家族で抱え込もうとすると、それでできる時はいいが、できない時、破綻する。お互いさま、の思考性がちょっぴり入ると柔軟性が出るかもしれない。