4ヶ月ぶりにハーバード大学の研究室に戻ったら、「日本ではまだ同じ大学で教えてるの?」と聞かれてびっくり。たった4ヶ月で替わるわけないじゃない、と思ったけれど、相手にはまったく当たり前の質問らしくてそのことにまた驚いた。

 職場を替わることは日本でも抵抗がなくなってきたが、これはアメリカの影響だろうか。家を替わることも買い替えも当たり前で、タクシーに乗って運転手さんと話していたら、大体7年に1回は家を買い替えると言っていて、日本は住宅ローンを親子2代で払うこともあると話したら仰天していた。

 離婚にも抵抗がなくて、オバマ大統領の父親はたしか3回結婚しているし、母親は2回結婚していたと思う。

 大型の薬局兼スーパーに行くと、生活雑貨や薬などにまじってパソコン用テーブル、ランプ、加湿器まで売られていて日本に比べるととても安い。つまり、使い捨て、というコンセプトなのである。日本のように質のよいテーブルをずっと長く使うような思考性がないのだ。ボールペンも鉛筆も食料品も、1セットが大量で余ってしまう。どんどん使ってどんどん捨ててください、という雰囲気である。

 不都合なことはさっさと替えるという思考性はいいこともあるが、そればかりではさみしいなあ、と思ったりする。自分に合わない場や、嫌いになった人にさっさと別れを告げることは、「嫌だ」という感情を抑圧することがないから、それはそれでストレスは減る。

 しかし、人間の心の成熟には、合わない場と少しでも居心地よく折り合いをつけたり、嫌な人となんとかコミュニケーションをしようと工夫することが役に立つ。このところ、人も使い捨てという雰囲気があるが、かつての人もものも長く大切にということの良さもどこかに残しておきたい。