大学を卒業してすぐに私のオフィスでアルバイトしていた女性がいた。
 3週間に1度は必ず休む。ひどいときは週に1回は休み、理由は体調不良。具合が悪いと言われれば、それ以上は何も言えないもので、しかしその体調は病院に行くようなひどさではない。

 若いから体調管理に慣れていないのだなあ、と思いつつ、コンディションを整えるのも仕事のうち、日曜に遊びすぎると翌日大変よ、などと時々は注意しつつ様子をみていたが、ある朝、連絡もなく出勤してこない。お昼近くになってやっと連絡がついたら今日は休みます、とのことで、理由は、「春ですから」。一瞬耳を疑った。

 春は気分が不安定で調子が悪く休む、ということだったが、かつて、そんな理由で仕事を休む人はいなかったので呆然とした。それでも数年間働いて、ある日突然、退職した彼女は憎めない人柄で、退職した後もメールや電話で近況を報告してくれていた。求人難のころに仕事をやめた彼女、いざまた働こうとした時は、すでに就職難の時期に入っていて、苦労しやっと派遣で企業に勤めることになった。父親がリストラにあったので、どうしても家計を支える役目をしなければならなくなったのだ。心配しながら様子を聞いていたが、休まずに働きつづけ職場の信用を得て数年後正社員になった。

 今、役割をしっかり果たしている人のもつ安定感を感じさせる彼女には、かつての「春ですから」と休んだ面影はない。海外勤務の決まった彼女を送りだしながら、「役割は人を強くする」ものだと思った。思えば私も、医療にたずさわるようになってから、ずい分かわった。25歳で医学部を卒業するとすぐに先生とよばれるようになる。それはまだ経験もない小娘のわたしには、大きなプレッシャーだった。
 主治医です、と自己紹介した時、担当患者さんと家族の顔にうかぶ「大丈夫なのかなあ」という不安な表情をみるのがつらかった。早く自分の役割を果たせるようにと思いながら背のびしたり壁にぶつかったりした。役割がなかったらきっとずい分いい加減だっただろう。

 仕事上の役割、家族の中の役割、みなそれぞれ苦労もあるし大変だ。役割を果たそうとすると、力がわくその一方で、役割の重荷でへこみそうになることもある。
 しかし役割の重荷を一方的に悪者にして子供に背負わせないのはどうなのだろう。彼らが各々うけもった役割と責任の重荷でおしつぶされないようにそれを手助けし、支えるのも大人の役割ではないだろうか。旅立つ彼女をみながらそんなことを思った。(心療内科医)