読売新聞

東日本巨大地震の被災者の避難生活は、長期化の様相を見せている。困難な状況でも心の健康を保つにはどうしたらよいか、心療内科医の海原純子さんに聞いた。(田中秀一)

――震災後、福島県から埼玉県の避難所に集団で避難してきた人たちの支援をしているそうですね。どんな活動なのですか。

海原 さいたまスーパーアリーナで、まずリラックスして緊張をとるために、体を動かす「ボディーワーク」をしました。体を伸ばして深呼吸したり、足の裏のツボを手でたたいたり。体を緩めないと、心も緩まない。まず体に意識を向けましょう、ということです。

「うちの避難所は大丈夫です。心の不調を訴える人はいません」という自治体の人が多い。そこで、「体を動かしてエコノミークラス症候群を予防して、交感神経を緩めましょう」というところから始めました。

私のほか、トレーナー、マッサージ、鍼灸(しんきゅう)、保育士、計15人くらいが集まって避難所に行き、お母さんがボディーワークに参加している横で、子供たちの世話をしました。

避難してきた方たちは、気持ちが張りつめていて、感情がこわばった状態です。最初「私、大丈夫です」と言っていた人も、体を伸ばしたりすると、笑顔になったり涙ぐんだりして、表情が出てきました。

――閉じこめていた感情が出てきたわけですか?

海原 体を動かして心が緩んだ、ということです。体は心と一体です。落ち込んだ時は、うつむいて「私、うつです」と言いますが、手を上げて体を伸ばすと、「私、 うつです」とは言えない。体を解放することは、心を解放することです。子供は、体を動かすことが心を表現することになります。体を動かすことで感情が出て くる。カウンセラーがいないときは、体を動かすことが心を緩めることになります。

――なぜ避難所に行って活動しようと思ったのですか。

海原 被害を見ていたたまれず、家にじっとしていられませんでした。私の周りにも、そういう人たちが多かった。最初の数日間は、余震があって自分自身もすごく怖 かった。毎日、あふれるほどの報道を見ているだけで憂うつでした。でも、誰かを助けようと思うと怖くない、ということに気がつきました。津波が来た時に、 住民を避難させようとして波にのまれた役場の職員や警察官は、怖くなかったのだと思います。

震災という運命は決まっているかもしれない。原発の事故をいくら不安に思っても、私自身が変えることはできない。それでも、自分はその中でどう生きていくか、気持ちは変えられます。自分ができる範囲の行動を起こすしかありません。

私の大学のゼミの卒業生が、ボディーワークのプログラムをつくってくれました。コミュニティーができて、結束が強くなりました。人を助けることでみんなの気持ちが一致した時に、怖さがなくなった。それが救いになるかもしれません。(続く)

(2011年3月31日 読売新聞)

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