さて先週、「真実にみえるウソ」の横行するところには、組織としての問題点がある、と書いた。書きながら、本来ダブルスタンダードがあってはならない分野で、最近、次々と「真実に見えるウソ」が発覚していることに改めて気付いた。

司法の分野では、検事、それも優秀な検事の証拠データ改ざん事件があった。テレビでは、始終やらせ問題が発覚する。研究の分野でも、論文の盗用が発覚したり。大相撲の八百長では、問題の力士も最初はきっと横綱をめざし、目標をもって入門しただろう。検事にしてもテレビマンにしても研究者にしても、いい仕事をしたい、という思いでスタートしたはず。

日本中の各分野で本当らしいウソが増えていることの重さを、もう少し考える必要がありはしないだろうか。

まず、「結果」と「効率」と真実との間には矛盾があることを忘れてはならない。たとえば、研究でピュアなデータを取ろうとするには、手間と時間がかかる。効率とは相反する場合がしばしばだ。数ヶ月かかっても思うような結果が出ないこともある。当然、所属組織から効率的でない、と批判されれば立場は悪い。

真実の結果を出すことが、生産性とむすびつかない場合もしばしばである。それでもなお研究を続けるのは、「ウソのない分野」を求める研究者の好奇心にかかっている。

大切なのは、組織トップの意識と内部の自浄作用だ。研究を再び例にとるが、異なる分野の研究者たちで、ひとつのテーマをさまざまな視点から研究することがある。こうしたプロジェクトチームは、個々人の孤独感を防ぐだけでなく、お互いデータのチェックができる。これが自浄作用につながる。

同業だが、ちょっと異なる専門分野の人との共同作業。これによる自浄作用が、今、必要ではないだろうか。