世間にはダブルスタンダードというものが存在する。そして私たちは、往々にしてそれに振り回されて、不快になったりする。

オーナーと親しい社員だと通用することが一般社員だと通らない、などはその一例。有名人だのお金持ちだの2世だのスポンサーだの政治家がらみだの、世の中にはいろんな「特別待遇」スタンダードがあり、一般人は無念に思うことも多い。

そんなとき、「基準がひとつでウソがない分野」があるおかげで、どんなに心がスッキリすることか。私は、スポーツはそういう世界であってほしいと思う。タイムや勝敗の基準はひとつ。いくら親が偉くてもお金を持っていても、縁故タイムや上げ底得点は不可能。本人のそのときの実力で勝敗が決まるというのは、なんとスッキリしていることか。

最近はスポーツでも、いいコーチについたり、設備のよい練習場や良質の食べ物でコンディショニングするのにお金がかかる。資本力=実力のような面もある。だからこそ、私などは、いわゆるサラブレッドではない普通の育ちの選手を大いに応援してしまう。みなさんはどうだろう。

さて、このところの大相撲の一連の問題。単に八百長では済まされない。私たちがスポーツに求める「ダブルスタンダードのウソがない分野」から、大相撲が自ら抜けたわけだろう。世の中には、イヤになるほど「演出された真実に見えるウソ」がいっぱいだが、大相撲もその仲間入りである。

八百長をした力士たちの背景にあった心は一体何なのだろう。問題の追及だけではなく、入門した当初はおそらく純真だった彼らをウソに駆り立てた、むなしさやフラストレーションの実態を調べる必要がある。真実に見えるウソが横行する世界には、組織としての問題が存在することが多いからだ。