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横浜アリーナで講演会
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2010.7.27-28 |
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研修会とコンディショニング
最近、研修会やセミナーでの講演で話すと、びっくりすることがしばしばある。何がびっくりかというと、そのスケジュールの過密ぶり、である。 例えばあるセミナー。日曜日の朝10時から始まり、午前中が基調講演でお昼はワーキングランチ、午後は1時から講演がいくつか続いて終了は夜7時。途中の仕切りが悪く、講演が延びた。参加者は講演と講演の間に休むこともできず、3〜4分のトイレ休憩だけ。こんなスケジュールでは、集中力が低下するし、疲れる。無理があるなあ、自分ならこんなセミナーには参加しないなあ、と思ってしまう。 とくに感じるのは、司会進行の日本式ルールだ。進行をキープするより、長い話を優先する傾向があって、講演が時間内に収まらない。参加者は、平日に働いて日曜は一日中勉強し、また翌日から働くのだから大変だろう。 セミナーの企画コンセプトは、有名な講師をたくさん集めたからせいぜい勉強してください、休むヒマなんてないでしょう、なのかもしれない。人間の生理的条件をあまりに無視しすぎ。このやり方は日本式の精神至上主義だなあ、とも思う。勉強は歯をくいしばってガンバル、というスタイル。 しかし、人間は精神力だけではもたない。研修もスポーツと同じで、コンディション調整が研修内容とほぼ等しい重要度をもっている。空腹、脱水、睡眠不足は、精神力だけではカバーできない。私自身は、仕事の時、仕事内容は当然だが、コンディショニングにもとても気をつかう。体調は心にも大きく影響するからだ。 さらにもう一点。早朝や夜の社内研修会には、おいしい飲み物や食べ物を用意してはどうかと思う。不況だからとカットしたくなるのだろうが、一生懸命働いている社員がほっとするちょっとした心くばりは、意欲と集中力に影響して、お金で買えないものに変わるように思う。 ![]() 2010.7.25 sun |
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仙台で講演会
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2010.7.22-23 |
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丸亀で講演会
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2010.7.17-18 |
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岐阜で講演会
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2010.7.16 fri |
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広島で講演会
![]() ![]() ![]() 2010.7.13 thu |
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港区医師会トーク&ライブ
ライブ前のリハーサル。 ![]() ![]() ![]() ![]() 2010.7.12 mon |
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性差と親の期待
ある朝、新聞広告を見て「あれれ」と驚いた。新刊の宣伝が載っている。本のタイトルはたしか、「女の子を幸せにする育て方」「男の子のやる気をひきだす育て方」。思わず心の中でうなってしまった。みなさんはいかがでしょう。このタイトルを見て「あれッ」と感じた方は、どのくらいいらっしゃるのかしら。 特に違和感もなくすんなりと受け入れられる方が多いとすると、これはおそろしい気もする。などと核と、「うるさい人だ。何が問題なのか」と怒られるかもしれない。 「子供を幸せにしてやる気をひき出す育て方」では、なぜ売れないのか。女の子には、まわりの人とうまくやって幸せにいきてほしい、男の子には勉強して仕事のできる人に育ってほしい、という親や社会の期待が大きいからだろう。もし、「男の子を幸せにする育て方」「女の子のやる気を引き出す育て方」などという題をつけたら、売り上げ低下は間違いないかも。 さて、「ピグマリオン効果」という言葉をご存じだろうか。ギリシャ神話のピグマリオンにちなんでつけられたこの心理学用語は、強い期待をこめて相手に対すると、それが相手に影響を与えるというもの。ミュージカルの「マイ・フェア・レディ」はこのギリシャ神話をベースに作られた。 子供は、親や教師の期待を敏感に察知する。期待に応えようとして、その方向に伸びるともいわれる。親が男の子には高学歴を期待し、女の子に「ほどほどでいいんじゃない」と思うと、それが子供に影響する。 理系の専門分野や大学の教授職も日本は女性が少ないなあ、と実感している。本人の思いと親の期待が一致すれば問題ないが、本当は学問向きの女の子に「ほどほど」の教育をされたら、日本の科学技術の損失につながっていく。「当たり前」で通ってきたことに、矛盾が潜んでいる。 2010.7.11 sun |
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博多で講演会
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2010.7.6 tue |
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福岡で講演会
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2010.7.2 fri |
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聴く力、察する能力
先週「聴く力」について書いたが、マニュアル対応で同じような経験があるという声をあちこちで耳にした。確かに、マニュアルはとても便利で、それに沿って対応すると自分が必要な情報を獲得できる。しかし逆に、相手が自分に伝えたい情報を聴きとる力はアップしないこともあるだろう。 ファストフード店などなら「ちょっとした聴きとりミス」ですむけれど、ちょっとしたミスですまない分野もある。例えば、医療の世界ではどうだろう、と思うとこれはこわい。 問診でほぼ診察が決まるというくらい、診察室での会話は重要だ。最近は、患者さんの顔もまともに見ることなく、パソコン画面のカルテを眺めて、それに入力しつつ話をする医師もいるときく。マニュアル通りに質問しカルテに記入。患者さんの話の微妙なニュアンスを聴きとるのは難しいだろう。またマニュアルどおりに質問されると、患者さんの側も自分の言いたいことを十分に話せず、マニュアル質問に誘導された返答に終わってしまう可能性も出てくる。これは危険である。 聴く力は「察する能力」に通じる。ただ聴くだけでなく、そこから相手の気持ち、状況を察することが、日本語というきわめて特殊な言語を持つ私たちの文化コミュニケーションの基盤になってきた。それが崩壊している。 マニュアル対応は初心者でもそこそこ対応ができるという利点をもっているが、この方式に頼っているとコミュニケーションはどうなるのだろう。 海外で今まで必ず言われてきたのは、「日本のサービスってすごいよね、ホテルもレストランも旅館も飛行機も。日本に旅行したい」という、いわゆるホスピタリティーの良さ。それもこれも、マニュアル対応ではない時間をかけて「察する能力」のたまものだ。政治、経済で後れをとる日本。察する能力は絶対守っておきたいと強く思うのだ。 2010.7.4 sun |