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鹿児島で講演会
![]() ![]() ![]() 2010.6.29 thu |
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新潟で講演会
![]() ![]() 2010.6.27 sun |
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「聴く力」が低下している
大学の講義が終わった後、駅でコーヒーを買い新幹線の車内で飲みながら帰るのが気に入っている。ところが最近こんなことがあってびっくりした。 あるコーヒー店での会話。 「○○をテイクアウトで手さげにお願いします」 店員さんはにこやかにうなずき料金を告げてこう応える。 「店内でお召し上がりですか」 私は再度、「テイクアウトで手さげに入れてください」と答えた。彼女は再びうなずき、「店内用マグカップでご用意してよろしいですか?」 さすがにまずいと思い、「これで3回目なんだけど、テイクアウトでお願いしたいんです」と言いながら、「あー、聞いてないんだなあ」と思った。 実はこれと同様のことがこのところ頻発し、「聴く力」の低下をひしひしと感じている。自分が発言することと手順に意識が集中し、相手の言葉を聴く姿勢ができていないから何度言ってもコミュニケーションの壁が出来て、それにさえぎられてしまうのだ。これは危険。もしかして講義の重要なところも聞き逃されているんじゃないかしら、とチェックしてみることにした。 |
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広島で講演会
![]() ![]() 2010.6.26 sat |
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競争が苦手でも
昔は運動会というと秋と決まっていたが、このごろは今の季節にも行われるらしい。近くの小学校の運動会がベランダから見えて、子供のころいわゆる「かけっこ」が苦手だったなあ、と思い出した。 今の運動場は、きちんとレーンがひかれているが、私の子供時代はそうではなく、スタートすると内側の一番いいレーンを、周囲をおしわけて確保し、その場をキープしながら走りぬく子供が一等になれるのだった。私はというと、スタートで人をおしのけるのが苦手。みんなを先に行かせてから最後に内側を走るから、当然ビリだ。 親からは情けない子と言われるし、教師からは「気弱で競争社会で生き抜いていけない」「一人っ子だから競争できない子」と評価された。今でも多分、あのスタイルの「かけっこ」をしたら私はビリだろう。でも、今までなんとかこの「競争社会」で生き抜けたのは、私が「人と競争する場」をもってきたという2点による。 医師が病気をもつ人とかかわるのに競争はないし、研究やものを書くことは自分自身との闘いであり、修行だ。社会的にいいポストを得たり有名になるという「競争」をしなければ、十分生きていけるし、むしろ心地良い。 人をおしのけて先に出ようとする本能を持つ人が多いのは、多分、何億年も前から競争で他をおしわけて勝ち抜いたものが生き残り、我々はそんな勝者の子孫だからだろう。 でも、なかには「競争が苦手」な子供がいるかもしれない。そんな時、周囲はがんばって競争しなさい、とはっぱをかけがちだ。しかし、どうしてもそれができない子供がいる。少数派のそんな子供を弱い人間と決めつけないでほしい。そして、他者とではなく、自分自身との競争を通して社会とかかわる道を探す手助けをしてほしいと思う。 2010.6.20 sun |
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富山で講演会
![]() ![]() ![]() ![]() 2010.6.19 sat |
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講演会でのお食事
![]() ![]() 2010.6 |
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名古屋で講演会
![]() ![]() ![]() 2010.6.16 wed |
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「後出し」の心理
子供のころジャンケンの「後出し」は最も嫌われる行為のひとつだった。 今はどうなのだろうか。絶対に勝つとわかってからの勝負には、「安全な場」に身をおいて勝負する「ふり」をしている卑怯さがある。 大人の社会では、インサイダー取引などが「後出し」心理によるものだ。金銭がらみの「後出し」は犯罪として規制されているが、それ以外の分野ではどうだろう。このところ、「後出し」だなあ、と感じることがとても多いのだが、みなさんはどうですか。 例えば、最近、鳩山内閣に対する批判は連日激しさを増し、ついに辞任へと至った。しかし、いわゆる政治評論家といわれる人々で、首相の資質や政策の見通しの甘さについて、数ヶ月前から論理的に批判して、問題点を指摘した論評をメディアで発表した方が一体どれほどいただろうか。 ワシントンポスト紙が首相を激しく批判して以来、日本の評論家たちのそれも激しくなったように感じてしまう。つまり、「後出し」評論だ。評論家は、絶対よくないとわかることを評論するのではなく、みんながそれでいいんじゃないかと思っているときに、疑問や矛盾を指摘してくれないといけない。そんな評論家や、それを取り上げるメディアがないと危険である。 そう感じるのは、最近若者と議論をして、意見の後出しが多いからだ。「前に述べた人と同じです」などという答えに出くわす。人と違う意見を述べて批判されるより、みなと同じで安全な場に身を置きたいという心理。これは、アメリカの学生が自分の意見を述べる姿勢とは全く異なる。 意見を述べるのも、ものを作り出すのも研究も仕事も、人の後追いで既に成功しているものを模倣し、改良するのはより安全だ。しかしそれは行き詰まる。今の日本経済の行き詰まりも、後出しの反動かもしれない。 2010.6.13 sun |
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食事も忘れて
栃木にある大学で教えているから、通勤は東京から新幹線だ。昼は外に食べに行く時間がないため、お弁当を持参する。その日は、昼休みに卒論指導をしたから昼食はパス。朝食は十分とったし、空腹ではないから、お弁当は帰りの電車で食べることにして、午後の講義の後、気になる学生を呼んで、話を聞いた。ディスカッションに集中せず、逃げ腰なのが心配だった。 内容が面白くないのか、と尋ねるとそうではないという。よくよく聞くと、学ぶこと自体は楽しい、面白いと感じたことがないのだという。本も、難しい言葉や漢字、専門用語を飛ばして、読むのをやめてしまう。調べるのが面倒だから、結果としてそこで止まってしまう。ボキャブラリーが少ないから、討論で自分の意見も言えず、逃避してしまうのだ。 それではさぞつまらないだろう。私は懇切丁寧に教えるいい教師ではない。でも教師である以上、大学生に「研究することの楽しみ」を知って卒業してほしいと思っている。 人から与えられたものを「学ぶ」だけでなく、自分の見つけたテーマを「研究」するのが大学という場所だ。そのためには、前段階として先人たちの残した研究の結晶である論文や書物を読む必要がある。その学生に、今まで投げ出してしまった本を一冊選んでごらん、難しい言葉は勉強する手伝いをするよ、と伝えたら、途端にホントですか、と目を輝かせた。 来週はどんな本を選んでくるか楽しみだと思いつつ新幹線に乗ったところで、ハタと、研究室の冷蔵庫に入れたままのお弁当を思い出した。空腹をすっかり忘れて、学生と話していたのだ。体は疲れたかもしれないが、充実したいい気分だった。食いしんぼうの私が食事を忘れるほど、学生と集中したコミュニケーションが取れたことを、うれしく感じたのだった。 2010.6.6 sun |