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環境の影響で
かつて、外でお酒を飲んで帰ってくる夫に、妻は「家にもお酒があるのにどうして外で飲むの」と文句を言ったものだ。確かにそうなのだが、行動には環境が大きく影響する。 日本の自宅でも、パソコンで職員パスワードを使いハーバード大学から文献をダウンロードできる。だが日本にいると、日々の業務に追われてじっくり文献を読むこたができない。週末のボストンでも、アパートで部屋にいるとミーティングの資料を作れないが、近くの大型書店内にあるコーヒーショップに座ると突然原稿が書ける。 そこで、今もそんな状況で仕事をしている。周囲はパソコンを持ちこんで仕事をする人や文献をよむ人ばかりで、世間話をしている人は1割以下だ。あらためて、ものごとには周囲の環境が影響することと、人は一人一人別々の存在ではなく連動しあっていることに気づかされる。たとえばここで、ものを書いている時、いかに集中していても、隣でバナナなどを食べはじめ、足を投げ出して本を開く人がいると、集中がさえぎられてしまうのだ。 周囲に集中して勉強する人がいれば、その気分がまわるに伝わるし、幸せな気分の人はまわりにもそれが伝わる。逆にイラオラしたりだれている人の横にいると、こちらも影響を受ける。音やにおいの他に「気分」も目に見えないが人と人をつないだり、ブロックする要素になるのだとう。 あくびは伝染するとよくいわれるにはそうした意味なのだろう。外でお酒を飲むのは、お酒そのものの他に、解放された気分を共有したいという願望にほかならない。子供に勉強しなさい、といいながら自分はテレビを見ていても、子供はその気にならないだろう。 というわけで、今年度のゼミk募集には、あえて「しっかり勉強したいと思う人」、卒業研究には「研究したい人」と注意書きを加えた。 2010.3.7 sun |
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JAL破綻に思う
日本航空(JAL)が破綻したというニュースをボストンで聞いた。経営が甘いとか、エリート意識がよくないとかいう批判が目立つが、私はこれらの批判に疑問を感じている。仕事でさまざまな航空会社を使ったが、私はJALほど特殊な利点をもった航空会社はみたことがない、それは「利用者への共感性」ということで、この特徴故にJALは経営破綻したのではないかと思う。JALは本当に親切だ。 私はJALの知人親類がいるわけではない。しかし、欠航しようが遅れようが情報さえきちんと流さない外国の航空会社に苦労したから、海外でJALが飛んでいる場所に着くと心からホッとする。アメリカで国内線に国際線から乗り継ぐ時は、まるで戦場にいるようなストレスなのだ。 ふだん日本にいると、いかに日本の航空会社が利用者のことを考えているかに気づかない。充分な共感性をもって利用者に対処するには従業員をカットできないし、給料の保証も必要だ。「人間」とかかわる仕事は、経営と仕事の質の保持が相反することが多く、それは医療ととてもよく似ている。 かつてクリニックを経営していた時、クライアント(患者)にきちんと説明できるようスタッフを増やし、各専門家に給料を十分払っていたら、いつも赤字だった。いい医療といい経営とは、はっきり言って別物だ。アメリカで日帰り手術を受けた人が麻酔がやっときれてフラフラしている時、迎えがこないのに看護師に時間だからと帰らされ、驚いていた。 わが国独特の共感性をもつ対処に、私たちは慣れきっている。人とかかわる仕事で経営が優先された時、失ったものに気づいても遅すぎる。JALのサービスに過剰に依存し甘えていた部分が、我々利用者になかったか。この破綻の原因は、単に会社自治体だけでなく利用者の過剰な要求とJALの過剰適応にあったと思う。 2010.2.28 sun |
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数の論理
ある会から、会員が数千人に達したという報告の文書が届いた。書面には誇らしげにいかに会員が短期間に集まったかという内容が記されている。それはまったくまっとうでごく普通のことなのだが、私は常々こうしたごく普通のことに「アレ」という気分になる場合が多いのだ。 確かに、数が多くなればパワーにはならない。ものは売れなければ、視聴率は上がらなければ、力にはならない。学問の世界でも学会の会員数が多くなければ力は弱いし、政治でも数が揃わなければ政権は握れない。 だから、「数」は社会の基準となっている。支持する人が多いことは、人気のバロメーターだ。では逆に、「数」の論理で負けているからそれはダメなものだろうかというと、逆は必ずしも真ならず、である。私事だが、私の本はベストセラーになったことがない。数の論理からみるとダメな商品である。何十万部も売れたらさぞ気分が良いだろうだろうた思うが、先月、出版社から転送されてきた一通の手紙を受けとった。 それは読者からのもので、「この本は自分のために書かれたと感じて、泣きながら読みました」と記されていた。数の論理の栄光は得られないが、この手紙は私の宝物だ。数の論理はパワーを生む。何百万人が泣いてくれればもっとうれしいと思うかもしれないが、それはあり得ない。 なぜなら、数の論理を基準にものを選ぶ時、そのものを求めているというより、「より売れている」「みんなが求める」ものを買おう、参加しようとして選ぶ人も増えるし、それをもとに何か商売しようと考える人も増えるからだ。数の論理と幸せの基準とは、往々にして噛み合わないことが多い。経済や政治は数の論理で動く。しかし、学問や芸術、人間関係という分野では、それ以外の幸せの基準も残しておきたいと思う。 ![]() 2010.2.21 sun |
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「嫉妬」考
父親が企業社長のAさんは、二代目といわれるのが嫌いな努力家。アメリカに留学して卒業した。ところが、それでも周囲からは、経済力があるからできるのね、などと陰口を言われ、怒りを感じている。Aさんの家族は、言いたい人には言わせておけばいい、負け犬の遠吠えだ、などと言う。 努力をしてもコネなのでは、とうわさされるのが恵まれた立場にある人のつらさ。こうした陰口は嫉妬から生まれるわけで、私も昔「父親が医者だから医学部に行けたんでしょ」とか、「子供がいたらそんなに仕事できないわよ」などと言われたものだ。 アメリカで研究するようになると、「誰の紹介でルートを見つけたんですか」などと言われ、結構驚く。いろいろ言われるとカチンとはくるが、私はそうした発言に込められた無念さに共感する。嫉妬の奥に、「自分もそうしたい、そうしたかった」という思いと、できなかった悲しみが込められている。その人は決して努力しなかった訳ではないだろう。努力しても条件が整わなかったり、努力が実る環境になかったり。ほんのわずかなボタンのかけ違えでできないことはあるものだ。 努力家で、努力をすればものごとが成就する環境にいる人は、恵まれた人だ。いわゆる世間の勝ち組はそうした人で占められているから、努力してもうまくいかない人がいることなど想像もつかないかもしれない。しかし、カウンセリングでさまざまな方とかかわると、素晴らしい資質をもちながら努力する時期を逃したり、努力が結果に結びつかなかった人がいるとわかる。 嫉妬の言葉は、その人の無念さの吐息のようなものである。それを負け犬の遠吠えなどにたとえてはならない。本当の勝ち組とは、その悲しみを理解しつつ、自分の恵まれた立場を、それができなかった人の分までがんばろうと努力する人なのではないかと思う。 ![]() 2010.2.14 sun |
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すべての人生は生きられない
私は時々ジャズのライブをしているのだが、先日、会場にかわいい花束が届いた。送り主は元ゼミ生だった。電話をすると風邪声で、「行きたかったんだけど、風邪でダウンしました」と言う。彼女は私のホームページを見ているそうで「先生は新しい本を書いたり研究したりすごいなあ」と続けた。 私は内心、それは違うよ、とつぶやいた。彼女は子供が大学に入学したのにあわせて、自分も学生になった。ゼミで女性学を学んだ時は50歳過ぎで、卒論では、慣れないパソコンを使いつつ、何度か涙を流した。学問に向いているとはいえないかもしれない。しかし、彼女は家計簿をつける研究グループに参加しており、家計のきりもりはまさにプロだった。ゼミの時、彼女が千円の予算で家族全員分の夕食を作る話を聞き、その内容の充実ぶりと見事さは、彼女にしかできない仕事だと感心したのをはっきり覚えている。 人はあらゆる人生を生きることはできない。ひとつの人生を選び、それ以外の人生を捨てて生きていく。彼女は学問や研究をしている人がうらやましいかもしれない。しかし、彼女も彼女にしかできない人生を歩んでいる。 今は両親の介護と家事に戻った彼女にとって、大学生活は捨ててしまった人生の一部を生かしたひと時だったのだろう。それはすてきなことだ。私は子育ても介護もしていない。だから、他人の娘たちや母親たちの手助けをしている。そしてものを書いたり歌ったりする。 どんなに、これでよし、と自分で選び進んできた道でも、年をとるとこれでよかったのかしら、という気持ちが浮かぶ人が多いのではないか、と思う。そんな時は、自分が捨ててしまった人生の一部をちょっぴり今の自分の人生に加えてみよう。彼女が勉強してみたように。「時間を作ってゼミにいらっしゃい」。そう彼女に言って、電話を切った。 ![]() 2010.2.7 sun |
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命の力、見誤るな
昨年暮れ、ある地方都市の市長が「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」とブログで語り、講演でも「木の枝先が腐れば切り落とし全体として活力のある状態にする」「社会をつくるには命の部分に踏み込まないと駄目だ。刈り込む作業をしないと全体が死ぬ」などと語ったという。 経済が悪化するとこういう意見に賛成する人も多くなり、逆に感情的な反発も耳にするが、医療への認識という点で、この見解は理論的に誤りである。高度医療は確実に多くの命を救っている。しかし、すべての人を救える訳ではない。医療はそれほど万能ではなく、生命を支配できない。あくまで手助けである。どれほど手を尽くしても救えない命もある。最終的に助かるのはその人の生命力。だから、助かる生命は自然が社会に与えた命としてうけとるのが当然だろう。 さて、ある高学歴エリート家族に障害のあるお子さんが誕生した。祖父は世間体を気にする大企業の重役。衝撃と混乱を経て、一家にそれまでない結束と温かさが生まれた。生産性向上、高い地位、高学歴のみをよしとしてきた家族に、別の価値観が生まれたのだ。不思議なことに、家族はそれまでより明るく幸せにみえた。いつまで生きられるかわからない小さな命と共に過ごす時間を、大切にいとおしく思えるようになったからだろう。その命は決して腐った枝先ではなく、逆に家族に新しい活力を吹き込んだのである。 今、人間が自然や命を支配していると錯覚する人がいる。自然はそんなに小さな存在ではない。森の木々は人間が刈り込まないからこそ生きてきたともいえる。木々は枯れた枝を落とすが、それは木自身が決めること。もし枯れ枝と共に木が枯れるなら、それは木が枝と共に死にたいと思うときではないだろうか。 ![]() 2010.1.31 sun |
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夜の研究室
月がきれいな夜の研究室。 ![]() 2010.2.5 fri |
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Boston common
公園の池がこおり、スケートしている。 ![]() ![]() 2010.2.5 fri |
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Twitter
みなさんこんにちは、 いまBostonです、寒いですよ。 今日はマイナス15度、 毎日のこまごました情報はTwitter海原純子でご覧下さいね。 ![]() 2010.2.1 mon |
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あったらあったで
今回も当たらなかった、とはずれた宝くじを眺めた方もいるだろう。これだけ景気が悪いと、宝くじに頼みたい気持ちにもなる。私もこの2年間、アメリカで研究生活をして日本との間を往復しているので、家賃やら交通費やらでやりくりが本当に大変だ。お金があれば、もっと安心して研究生活を送れ、データ入力をする人の人件費も払えるのにと思うが、お金というのは、あればあるでこれまた大変らしい。 お金にゆとりのある家庭の息子さん。親の仕事を手伝っていたが、親の反対する女性を好きになり、独立しようとした。ここまではよいが、それまで外で働いたことのない彼は、次々と職場をやめたり、リストラされてしまった。借りたマンションも、育った豪邸とはちがうのでイヤ。彼は、プールもテニスコートもある家で育ったのだ。 もうひとふんばりすれば新たな展開もあるが、親も心配でお金を与えてしまう。彼は実家に帰り、それでも恋人とは別れずどっちつかずのままだ。 お金がないと生活は苦しい。しかし、お金があれば安易な解決でその場をやりすごす。結局、問題を隠したままで時が過ぎる。前述の例も、お金が息子の自立をはばんでいる。 お金は、あってもなくても大変なのだ。お金さえあれば、と思うが、手にした途端、無意識の慢心を生む。お金があっても幸せになれる人は、なくても幸せだろう。「お金さえあれば幸せになれる」と思う人も、「お金があっても幸せになれない」と思う人も、どちらもお金とうまくかかわる人にはなれないだろう。お金があっても幸せになれるのは、多分、マザー・テレサのような人。 それにしても、大金はなくとも、働く場、働いたら自活できる給料は最低限必要。今の政権に宝くじは期待しないが、地道に生きようとする人が人生を悲観せずに歩める環境を望んでいる。 ![]() 2010.1.24 sun |
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今しかできないこと
せっかくの大学生活なのに、大学にこないでバイトばかりする学生がいる。学費や生活費に困るわけではなく、遊ぶ金がほしいからと聞くと、本当に残念だ。人生には、その時にしかできないことがある。時期を逃すと、後で同じことをするのに苦労がいる。人生は季節とよく似ている。冬に泳ぐのも夏のスキーも大変だ。お金をかけて、遠くに旅行しないとできない。 しかし、人間というものはどうやらすぐ、「その時にしかできないこと」を忘れて、別のことをする生き物のようだ。新しい年をむかえてひとつ年をとったわけだが、「その年じゃなきゃできないこと」なさっていますか? 年を重ねるにつれて、「自分はまだ、若いころと同じようにこれができる」と誇らしげに語る方が多い。それは結構かもしれないが、私自身は、若くなくちゃできないことを追い求めるのはやめにした。年をとったら、年をとらなくちゃできないことがあるからだ。年をとる、という一見ネガティブなイメージの環境でも、「その時にしかできないこと」を見つけようと心がけると、しゃんとするものだ。 ものごとがうまくいかなかったり、経済状態が悪かったり、病気になったり、人生にはさまざまな季節がある。その時々で「その時しかできない」ことに焦点をあてると、ストレスフルな状況が全く違ってみえてくる。 医師フランクルの著作で、脳腫瘍になった男性の話が紹介されている。その男性はたしか専門職をもつ有能な人だったが、病気のため仕事ができなくなった。そこで、病床で本を読みはじめたが視力も失い、今度は音楽をききはじめた。 しかし聴力も失い、激痛で医師に麻薬を打ってもらうようになる。最後に、彼は自分を世話する医師や看護婦を思いやりながら亡くなる。大変な時代とは、若さを誇ることより、大人の生き方を示す時でもあるのだ。 ![]() 2010.1.17 sun |
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harvard
1月14日〜またharvard の研究室です。 ![]() 2010.1.13 wed |
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南こうせつと仲間たち
2月9日午後9時05分 NHKラジオ第一 南こうせつと仲間たちに出ます。 ![]() 2010.1.13 wed |
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田舎のかわいい奥さん
昨年の暮れ、タクシーに乗った時のこと。東北出身の運転手さんが、「今度の正月は田舎に帰れません。売り上げが悪くて」と話していた。でも、運転手さんの表情はちっとも暗くない。 「田舎にかわいい奥さんがいるんですよ」と自然に言うので、微笑みがこぼれた。思わず、「結婚して何年なんですか」と聞いたら、「20年です」との答えが返ってきた。子供が3人いて、お金がかかるから、家に帰らず東京で仕事をするのだという。きっと温かい家庭なんだろうなあと想像し、20年たっても妻をかわいい奥さんと言えるなんて、いいなあと思った。 不況の時代、経済状態が悪くなって家族の仲がぎくしゃくする家庭も多い。アメリカでは、経済状態が悪くなると低所得層で家庭内暴力が増えるケースもある。 お正月を家族そろってむかえられないのはさみしいだろう。しかし、不在だからこそ相手の大切さをよりしみじみと感じることもあるだろう。いつもいる相手だと当たり前になってしまうのは、人の常である。いないからこそ感じられる相手のよさに気づき、それを味わえるのは、幸せの資質をもっている人だろうと思う。 世間一般のものさしでいえば、売り上げをあげるのがよいことで、売り上げをあげれないのはよくないこと、みっともないことになる。正月に家に帰れないのをだらしない、なんていう人もいるだろう。 一方、20年一緒にいる妻をかわいいと感じ、正月に一人で働くことに不平不満ではなく、子供の成長を楽しみにして仕送りできるのは、「幸せの資質」のものさしだ。目にみえないそうしたものさしをもった人は、自分だけでなく周囲をも幸せにする。もうあれからしばらくたったが、タクシーをおりた時の温かい気分は、今も私の中に続いている。いい年でありますように、と心からそう願う。 ![]() 2010.1.10 sun |
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ダウンジャケットの中のみいちゃん
昨年暮れは、こんな感じで過ごしました。 今年も楽しくやっていきたいと思います。 1月14日からまたHarvardに行ってきます。 ![]() 2009.1.1 fri |