人と語り合いたいと思わせる物語

 皆さんは、どんなときに「映画を観よう」と思いますか?
 私自身は、映画は楽しくなくちゃ、と思っているので、気分を変えたいとき、煮詰まった感じになったときに映画を観ることが多いのだけれど、時には
 この映画について、この人と語り合いたい。
 と思って観る映画もある。

 『ヴェラ・ドレイク』は多分、多くの人にとって、そうした映画なのでは、と思う。
 決して楽しい映画ではないし、観終わった後、「ウーン」と考えてしまうかもしれないけれど、もし、あなたに好きな人がいるなら、あるいは、コミュニケーションを取り入れたい家族がいるなら、その人と語り合うためにこの映画をお薦めしたい。

 『ヴェラ・ドレイク』は、ある女性の名前。物語は、1950年代のロンドンが舞台。第61回ヴェネチア国際映画祭で、金獅子賞を獲得したこの映画、まだご覧になっていない方のたるにストーリーをご紹介したい。

 戦後間もないロンドン、家政婦のヴェラは、自動車修理工場で働く夫、洋品店に勤める息子、工場勤めの娘とともに、貧しいけれど充実した暮らしを送っていた。ヴェラは、労働者階級の人々が生活する界隈で、近所の人たちにお茶をふるまったり、身体の具合の悪い隣人の面倒を見たり、一人暮らしの母親の世話をして周囲の人たちから頼られていた。近所の人たちにとって、ヴェラは明るい肝っ玉母さんであり、優しい女神であり、家族にとっては理想の母、妻であったのだ。

 しかし彼女には、家族にいえない秘密があった。20年以上前から、不本意な妊娠をした女性たちに、違法な中絶手術を施していたのだ。
 当時、中絶手術は厳しく規制され、医師によって母体が危険と診断された場合以外は、許可されていなかった。また、たとえ許可されても費用は高額で、庶民には手が届かない。ヴェラは無報酬で、女性たちに処置をして「手助け」をしていたのだ。処置の方法は、注入器を使って石けん液を入れて流産を促す、という原始的なものだった。

 ところが、あるとき、ヴェラが施した処置がもとで体調が急変した女性が病院に運ばれたことから、ヴェラは警察に逮捕されてしまう。
 事実を知り、夫はとまどい、息子は怒り、娘は悲しみ、一家は初めて危機を迎える。しかし夫は、ヴェラのすべてを受け入れ、その姿を見た息子も母を赦そうとするのだった。

大切な人に「秘密」を打ち明けられるか

 この映画を観て、まず思い出したのは、孔子の言葉である。
 ある家族がいて、父が馬を盗んだ。息子はそれを訴え、父は逮捕された。世間の人は、何と正直者の息子と賞賛する。しかし、孔子はいう。父は子のために隠し、子は父のために隠す。自分の心に正直であるのは、そうしたことだ、と。

 たとえ違法行為であっても、家族間ではすべてオーケーの立場でありたい、と孔子はいったのである。何があっても、たとえ悪いことをしても、すべて受け入れる。それが愛であり家族である、ということか。

 それがいいか悪いか、などは別の問題である。それをよし、としないという人もいるだろう。しかし、家族がすべてを受け入れてくれたら、人は「帰っていく場所」ができる。それは、どんなに心安らかであることか。
 50年代のイギリスで中絶がいかに「悪」であったか、そしてそのいほうこういにで捕まったことが、どんなに一家にとって「恥」であったかを思うと、すべてを赦そうとした家族の愛が心にしみる。

 さて、もうひとつの問題が気になる。それほど、愛に包まれた家族なのに、ヴェラはなぜ、夫に自分のしていた行為を打ち明けることができなかったのだろう。打ち明けたら、夫に嫌われると思ったのだろうか。それとも打ち明けることで、夫を傷つけることになると感じたのだろうか。この点について、あなたの愛する人とぜひ、語り合ってほしい。

 人には愛する人にも話せないことがあるものだ。もしそうしたことがあるのなら、それは心の中にひっそりとある箱のようなもの。その箱には、相手にも抱えきれないようなものが入っている。昔、受けた心の傷だったり、抑えこんだ悲しみや怒りであったり・・・。
 あなたには、そんな心の中の箱があるだろうか。そして、あなたの愛する人の心の中はどうだろう。そうした話のきっかけに、この映画をご覧になってはいかが。