初めて「スター・ウォーズ」を観たのは、1980年、エピソード」(「帝国の逆襲」)が公開された直後だった。当時、私はアメリカのアリゾナにいて、友人が「ものすごく面白いから絶対に観るように」と強く情熱をもって薦めたものだから、映画館に足を運んだ。
 ところが正直言って第一印象は、「ナニ、コレ」というものであった。
 会話はほとんどないし、ゲームみたいな乗り物が飛び交っているし、妙な動物やらロボットやらが出てくるし・・・で、エピソード、を観ていなかった私には、まったく面白さが感じられないのだった。
 そんな私が「スター・ウォーズ」ファンになったのは、エピソード、(「新たなる希望」)を観て流れがわかったこともあったが、この物語が投げかけるテーマに引きつけられたことが大きな理由である。監督のジョージ・ルーカスは、一見、肩の凝らない娯楽映画を装いながら、現代のギリシャ神話を作り上げたともいえる。
 20年以上の時を経て、今「スター・ウォーズ」をあらためて観ると、それは、ギリシャ神話のオデッセア、オイディプスやヘラクレスの物語と重ね合わせることができるのだ。
 「スター・ウォーズ」のテーマの一つは、「フォース」(直感)である。エピソード、、」、「(「ジェダイの帰還」)を通じ、主人公が苦境に追い込まれたときに彼を助けるのは、ハイテク武器ではなく、「フォース」なのだ。「フォース」すなわち直感と思いが、危機を相手に伝えたり、ものを動かしたりする。
 「スター・ウォーズ エピソード「」が作られた77年から80年にかけて、科学技術は大きく飛躍した。77年にはマッキントッシュのアップルが発売、81年にはパソコンがIBMから初出荷している。79年には自動車電話ができ、81年にソニーとフィリップスが音楽用CDを開発している。医療の分野でも、CTや超音波診断装置が開発・導入され始めた時期でもある。このようなハイテクの時代の幕開けともいえるころ、ハイテクな機械やロボットが登場する映画の中で、決定的なシーンが、
「フォース」
「人間の直感」
に委ねられているというところ、これが「スター・ウォーズ」の真価である。
 科学技術や医療技術が進化し、それこそ神の領域にまで足を踏み入れるようになったにもかかわらず、病が「気」によって引き起こされ、治療もまた「気分」や「こころ」に大きく左右されることが指摘される現代を、ルーカスは見通していたかのようである。
 さて、「スター・ウォーズ」の第二のテーマは、親との葛藤である。
 主人公ルークは、フォースの暗黒面に引き込まれた父親、ダース・ベイダーと戦い、彼を破る。
 子は成長のプロセスの中で、親によってつくられた殻を破り、自分らしい人生を歩みだすわけだが、ルークとダース・ベイダーの戦いは、このような人間の成長を象徴している。
 「スター・ウォーズ」の第三のテーマは、異なった文化、異なった生物の協調である。ロボットをはじめ、エピソード、の小動物イウォークなど、「スター・ウォーズ」には様々な人間以外の生物が登場し、主人公を助け、ともに力を合わせて帝国軍と戦う。一見、ギョッとするような容姿の生物もいるのだが、彼らはお互いに本質的なところで受け入れ合い、お互いの違いを認め合っているのだ。
 自分と同じ文化、環境の人間しかすでに受け入れられず、否定し合い、傷つけ合う現実の社会に対して、投げかけられたメッセージだろう。登場する生物たちが異形であればあるほど、そのメッセージは強烈なのである。
 「スター・ウォーズ」は、観終わったあとに気分がよくなる映画である。私はエピソード「を映画館で観たとき、ラストシーンで思わず拍手をして涙ぐんでしまったのを覚えている。そして周囲にもそんな人が多かったような気がする。
 なぜ、そのように心地よくなるのか?
 それは、このシリーズが一貫して、人間賛歌であるからだ。
 思いは現実になる。
 外界に起こる現実は心の投影である。
 目に見えるものだけがすべてではない。
 強く願うことが物事を動かす。
 外見が異なっても心は通じ合う。
というメッセージを通じ、主人公たちに共感することで、気分がすっきりするのである。